2008年4月29日火曜日

城ヶ崎海岸を歩く

ゴールデンウィーク前半戦に伊豆へ行ってきた。後半戦は不戦敗の予定。ちょうど鳥たちが囀る季節ではないか、と言うことで買ったばかりのニコンの双眼鏡を持って行ってきました。

実はスイスに行くときのためにトレッキングシューズを買っており、それの試し履きを兼ねていたのである。ところがこのもくろみが裏目に出た。靴のサイズは問題ないのだが、足首が擦れて痛いのなんのって。厚手のソックスが必要なのだろうか。それを我慢してピクニカルコース&自然研究路を踏破した。特に自然研究路の方は、はっきり言って年寄りにはきついであろう。アップダウンが激しいし、足場の悪いところも多い。しかし所々見える景色は素晴らしい。

ピクニカルコースの方には支那人の観光客も多く来ている。支那人向けの観光バスもある模様で、恐らくは団体のツアーがあるのだろう。海岸線の限られている支那であるから、支那人には珍しい景色と思われる。自然研究路の方は人も少なく、その名の通り自然に親しむならこちらだろう。

伊東市の鳥であるイソヒヨドリが綺麗な声で囀っていた。ヒヨドリとは大違い。色も綺麗だし(写真のオス。メスは地味である)、声も綺麗だなと思っていたら、ヒヨドリの近縁ではなくツグミの仲間のようだ。写真のような岩礁だけではなく、ちょっと街側の道路標識なんかにも留まっていた。

道の所々ではいろいろな花が咲いていた。写真はウラシマソウ。サトイモ科の植物で、花の一部が長く伸び、これが浦島太郎の釣り竿に見立てられたようだ。葉っぱが一枚だけ付いているのがなんとも奇妙な感じ。花というか仏炎苞と言うのだそうだが、これはくすんだ紫色であった。

ところどころに標識があって、細長く伸びたリアス式の岬に出られるようになっているが、行くのも困難な場所である。大室山の溶岩が海岸に流れ込んで出来た地形である。溶岩が海水と接触することで急激に冷やされ、写真のような柱状節理が見られるとのこと。六角形の断面を持つ柱状節理は海岸のあちこちで見られる。磯釣りをしている人や、崖を垂直懸垂している人が見られた。タイワンリスが枝をかじっているところも見た。タイワンリスは実にあちこちで見た。吊り橋を二つ見たが、ハイキングは全部で5時間ぐらい掛かったかな。脚が痛くなったが、足首は腫れつつも何とか持った。

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2008年4月27日日曜日

Ubuntuとビリヤニ

手持ちのThinkPadT30を、ネットを始めたいというかみさんの妹向けに準備していた。Windows2000の入った古いPCなんだが、ネットやるぐらいなら問題ないだろうと思って。一度HDDがおかしくなったのでHDDは換装してある。バックアップは非常に面倒であった。ところが、準備中にブルートゥースのスイッチを入れたら、がりがりHDDの音がし出してお亡くなりに。なんてこったい。捨てるのももったいないので、HDD80GBをAmazonで購入。HDDの換装自体は非常に簡単である。

しかしWindows2000を入れ直すのは実は面倒。そこでUbuntu7.04をCDに焼いたのがあったので、それを入れることにした。インストール自体は非常に簡単である。CDからブートして、後は適当にマウスをクリックすればOK。内蔵の無線LANもブルートゥースのマウスも、ちょっと迷ったところもあるがほぼ問題なく使えるようになった。日本語入力は買ってあったATOK X3 for Linuxを入れることにする。これでネットやらメールにはほぼ支障がないはず。ATOKも人気のUbuntuにアップデートパッチで対応した。いや、本当にネット端末としては十分だね、これ。

かみさんの実家で安そうなSo-netのADSLでインターネットの設定、というか電源を入れたらADSLモデムはすぐ動き出す。無線のところでWEPの暗号化コードが少々分かりづらかったが、その設定も終わり無事Firefoxでウェブブラウズへ。YouTubeも見られるし問題ないなあ。LogicoolのWebCamだけ、挿しただけでは認識しないがドライバはあるみたいなので、今度設定しよう。これでSkypeも出来る。かみさんの実家の猫を見ることが出来るわけだ。Ubuntuはちょうど8.04が出たところ。今度はウィンドウズからインストールも出来るようだね。


写真はケララバワンのビリヤニである。チキンが埋もれていて美味かった。上に乗ってるのは固ゆでのポーチドエッグかな。昨日の昼に食べたのである。

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2008年4月17日木曜日

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

ゼア・ウィル・ビー・ブラッドの試写会に行ってきた。うーむ、落ちのすごさに圧倒されたまま席を立つことになった。

映像美はリアリズムに貫かれていて、2時間半以上の長尺でも飽きることはなかった。構成も見事。主役のダニエル・デイ=ルイスはもちろん、脇役達の演技もすばらしい。正直2時間を回ったところで、どうやって落ちを付けるのか想像できなかったのだが、衝撃のラストが待っていた。これがブラックユーモアあふれるひどいもので、おいおい、こんな終わりではとてもじゃないけど感動は出来ないよ、と苦笑した。ひどい、ってのは褒め言葉ね。しかし人に勧めづらい映画だなあ。面白いのは間違いないけど、勧めちゃうと人間性を疑われそう。

しかし主人公の複雑な性格は表現するのが難しい。こういう奴らがいたから、アメリカの石油業が発展したのだ、というのは分かるけど、だったらそれは良いことだったのか?と言う疑問には何も答えない。答えなくて良いんだけど、歴史に整合性を求めるのは間違い、と言うことを思い知らされる。こういう人物が田舎のコミュニティで軋轢を起こす様が表現されているのもすごいなあ。

パンフレットに書かれている、「欲望」というキーワードは当たらない。むしろ「人間不信」や「人間嫌い」という方がぴったりくるような主人公である。映画にほとんど女性は出てこない。主人公は立派な屋敷に住むようになるが、それを追い求めていた気配はない。女に惑溺する偽の弟には軽蔑を感じていたようでもある。ひたすら酔いつぶれていたようだが、頭は覚醒している。成功を収めても幸福感は得られない。むしろ人とのつながりを拒否している。人物背景についてはわずかしか語られないので、なぜ彼がこのような価値観を持つに至ったかは想像するしかない。

美しく、かつ荒涼とした油田地帯である。

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2008年4月13日日曜日

園芸シーズン始まり

秋まきのスナップエンドウを茹でて食べているが、そろそろベランダのプランターを整理しなければ、と思ったのだ。なにせ小松菜は黄色い花を咲かせ、カリフォルニアローズは腐りつつも新しい芽が出たり、ブロッコリーは花がヒヨドリに突かれて裸になっている。アサツキも干からびてきたので、全て引っこ抜いて鉢やプランターを洗った。

島忠で買ってきた苗は、デルモンテのフルーツイエロー(ミニトマトね)とビバ・パプリコット(こちらはパプリカ)、サカタのミニトマトであるアイコ。お花はピンクのインパチエンスであります。プランターにはまだ青ネギが葱坊主を出してきたり、コーンサラダ(マーシュ)も薹が立ってきたりしている。

この辺も来週あたり片付けて、新しく種をまこうと思う。大玉トマトはベランダでは無理なので、今年は手堅く行く所存。

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2008年4月6日日曜日

春の散歩


多摩川の土手に名残の桜を見に行った。もう染井吉野はだいぶ散っていて、葉桜になり始めって所だが、大勢の花見客がいて閉口した。犬を連れてきている人も多いが、犬はつまらんだろうなあ。バーベキューまで始めている人もいて早々に退散。鵜の木の駅を経由して鵜の木松山公園に出た。この公園は初めてで、それもそのはず去年出来たばかりの公園の模様。古墳もありなかなか良い感じ。

トップの写真はここで咲いていたシロバナタンポポ。日本在来種のタンポポだそうだけど、あんまり見た記憶がない。わざわざ植えたのだろうか。しかし綺麗なものだ。他にカントウタンポポらしき花も咲いていた。



ヤマブキの花も咲いていた。これは一重だね。実がなるのだろうか。

さらに六郷用水の道に沿って歩く。オタマジャクシを捕っている子供が多数。捕るのはいいけどどうするんだろう。水路の深みにはザリガニもいる。赤くないように見えるが何だろう?

ハナダイコンが一面に咲いている場所があった。
こういう所でモンシロチョウが出撃体制を整えるのだな。この時期だけど綺麗な風景といえよう。

とおりのお寺ではしだれ桜が盛りであった。染井吉野よりちょっとピンク色でより桜のイメージである。それから桜坂(旧中原街道)をとおり、田園調布通りを通って田園調布駅に出た。良い散歩日和であった。

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2008年4月4日金曜日

こういうフジテレビは偉いと思う

フジテレビが江原啓之のインチキを認めた。江原スピリチュアルは「非科学的」とフジテレビと言うことだが、誤りを認めたところは偉い。この辺が開き直りしかできないTBSとは違うところだな。

スピリチュアルと言ってるオカルトは必ず集金に向かう。「誰にでも隠れた才能がある」「あなたの前世はこんなにすばらしい人だ」なーんてのは正に俗耳に入りやすい言説なわけで、聞いていやがる人はいないだろう。だけどよく考えてみよう。誰にでも才能がある?そんなわけ無いだろう(笑)こういうのを真に受けるのが、超能力開発なんかに金を払う金づるとなるのだ。「科学で全てを説明することは出来ない」ってのは事実ではあるのだが、だからといってオカルトを信じるところに飛躍するのは馬鹿のやること。全てを説明することは出来ない、ってのは「現在では」ってのを付けないとな。現在分からないことを分かるようにするのが自然科学の研究なのだから。

頭が悪くて自然科学が分からない人間にオカルトは忍び寄ってくる。それは正しいからではない。お金の匂いと、馬鹿な人間の自尊心が呼び寄せるのだ。

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