2008年7月30日水曜日

吉兆という病

船場吉兆が廃業したのは至極当然として、他の吉兆各店は相変わらず吉兆という看板を上げて、高級料亭でございという顔をしている。笑止千万である。船場吉兆がやっていたことを他の吉兆がやっていないという理由がどこにあるだろうか。言い換えると湯木貞一が作った吉兆という看板を安易に金に換えていないと吉兆各店が本当にいえるのだろうか。そもそも吉兆などは老舗でない。湯木貞一が一代で作った店なのだ。これを継承して発展させるのが各吉兆の責務などとそれぞれの店は言っているが、誰が頼んだのか。ただの金儲けのくせに何を言うか。

京都吉兆などは相変わらずここでぼったくり商売をやっている。これが船場吉兆の根性と何が違うのか。前にも書いたが、一料亭として出直すなら吉兆の名前を捨てることだ。吉兆の名は地に落ちたのだから。

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